1話
< 序章 >

クズ男、この男はもう直ぐ53歳を迎えようとしている。
妻と二人の子を持ち、平凡な地方の工場作業員を生業として生計を立てている。
地方の小都市の企業に籍を置く、さえない内向的な性格の中年サラリーマンである。

眠れない日が続く、真冬なのに身体の火照りで睡眠後二時間後には目覚める。
寝汗をかいている、下着を着替える
そしてそれっきり眠ることは無い
心臓が激しく波打つ、、、そしてそれは止まらない、、、マラソンをしたときのように波打つ
肩が振るえる。。
原因はクズ男には判っている…病状も既に判っている『自律神経失調症』だ
「過度のストレスなどに起因し起こる体温調節などを司る自律神経をコントロールできない病気」と
医学書にはある。

この感覚は前にも経験していた、会社で49歳の春に管理職になれる最後のチャンスの年齢で課長補佐
主任に昇格し約1年後の、、、あの時と同じ感覚…
課長を補佐する責任あるポジションに昇格し張り切って充実して働いていた。
そして会社で新しいプロジェクトが始まった、主任級がリーダーとなり英文の品質統計手法を使い会社の
未来をどうするかをテーマ毎に分析し対策を建て実行するプロジェクトチームが発足
他の主任級のリーダーは殆どが30代の大学卒、、いや高卒も居た…だが皆が自分より博識に見える。
しかしクズ男は東北の田舎町の工業高校卒…品質統計手法など名前は知っていても知識は殆ど零に
等くましてやそれを使いこなして会社の未来を分析するなど不可能に思えた。
しかしスタートしたプロジェクトはドンドン社長命令で進む…停滞など許されない
クズ男は英語と統計手法の本を買い勉強しながら何とか一二ヶ月はリーダーを無難に乗り越えていた
そして、社長の前での中間発表会が近づいて来た、統計手法で発表資料を作る…何とか発表会までには
出来上がりそうだ。
しかしこの日の夜中に…クズ男の体調に異変が起きた、心臓の激しい動悸、寝汗、振るえ
この時クズ男は喜々とした…そう、自分の体調の変化を喜んでいた『これでプロジェクトリーダーを降りる
口実が出来た』
次の日休みを取り病院に行き、自分の病状をことさら大袈裟に医者に告げる。
病名は『自律神経失調症による軽度の鬱』
クズ男は医師に診断書を書いてもらった『自律神経失調症と鬱の症状が認められ、二週間の自宅療養その後
原因と思われる職場環境の変更が必要と診断する』
これで発表会に出なくても良い、、安堵が頭の先からつま先まで駆け抜ける。
会社に診断書を提出し翌日から会社を休む…その日のうちにあの症状は無くなっていた
しかし、二週間は会社を休む必要がある…パチンコで暇を潰す日々が続いた、、馬鹿な時間を過ごしていた
この時間を使い統計手法の勉強でもしていれば・・・
しかしこの時のクズ男にはそんな事は思いも付かないことだった、、只重圧から逃れた開放感だけに浸っていた。
そう、クズ男は会社の仕事から逃避・逃亡を図り、まんまと成功したのです。

そして二週間後クズ男を待っていたのは、片田舎の子会社の一作業者として半年間の作業応援の辞令だった。

半年間無事応援作業者を勤め上げ元の工場に戻った。
この半年間の気楽な応援作業でクズ男の病状はすっかり回復していた。
しかし、クズ男を会社は元の課長補佐主任として迎える事は無かった。
当然の事である、クズ男は病状は回復できても信用は回復できなかったのだ。
しかし、これはクズ男の望むところ、、クズ男は確信犯だった。
そして次に与えられた仕事は、会社から町会議員として立候補している人の秘書のような仕事、つまり候補に代わり外回り
をし、選挙活動をする事だった。
会社はクズ男の身分を営業ヘルパーとし、企業ぐるみ選挙の批判を回避するためにあくまでも外回りの営業活動という形を
とった。
この選挙応援は1月から4月までの寒い期間で、クズ男にとって非常に辛いものであった。
候補者は無事当選したが、クズ男には会社からのねぎらいの言葉など無く、次の週には以前の子会社の作業員として
職場に戻った。
クズ男は完全に本社直轄工場の枠から外れた人間になっていた。

クズ男は50歳近くになって得た管理職の座を自分の手で僅か一年足らずで潰してしまった。
そして、今もクズ男は一作業者として初老を迎えようとしている身を工場の片隅に置き、夜勤務、昼勤務、晩勤務が
週ごとに替わる三交替勤務を続けている。
更に不景気の荒波にこの会社も例外なく赤字続き、クズ男はリストラの対象となっている。
そして今、逃避したツケを払い続けている。


< 生い立ち >

12歳の夏、クズ男は深紅の中に居た。
母親の太腿から滴り落ちた血が、地面を深紅に染めていた。
夏の陽射しの中で血は酸化鉄の匂いを放っていた…赤錆の匂い 血の匂い
小学6年のクズ男は恐ろしさにふるえていた、クズ男の見ているのは深紅の世界、草も樹も空気までも深紅だった。

12歳の夏、クズ男は母親を包丁で刺した。
母親は涙を流しながらクズ男を哀れな眼で見ていた、刺したことを咎めることは無く。。。
クズ男の目には母親の涙も血の色に見えていた。

クズ男は昭和24年新潟県で生まれたが、直ぐに父方の実家の有る東北の寂れた寒村に引っ越した。
実家の祖父の家業は山仕事だった、茅葺の粗末な掘っ立て小屋のような家がクズ男が18に成るまでの住まいとなった。
この寒村での18年間が今のクズ男の全てを形成した。

クズ男の父親は寒村では食べる事がままならず、東京の企業の工員として職を求めた、偶然とは面白いもので
今、クズ男が籍を置く企業と同じ会社だった…親子二代に渡りこの会社で生活の糧を得た事になる。
この時期に猿顔の父は、大都会東京から誰もが美人と認める妻を娶った、当時会社でも疑問の声が騰がるほどの
不釣合いな夫婦だったらしい。今で言う「美女と野獣」が結ばれた。
若かりし母の写真は本当に綺麗だとクズ男はいつでも思っている。
しかし、4人の兄弟のうちクズ男だけは母親に似る事も無く、父親と同じ猿顔に生まれた。
この父と母の新婚生活の時代は時まさに第二次世界大戦の終焉に近い時代だった、日本中の誰もが例外なく戦争という
暴力に蹂躙されていた。
クズ男の父親は運良く兵隊として戦争に行かず、東京の工場で兵器を造っていた。
終戦の直前の東京大空襲が続く頃に兄が生まれている。
父母は生まれたばかりの兄を背負い命からがら親類を頼り新潟に疎開した。
そして終戦の余韻冷めぬ頃、食い詰めた東北の寒村の祖父母の面倒を見るために父と母は寒村へ引っ越したのだった。

ここから東京でお嬢様として少女時代を過ごしたクズ男の母の苦難の人生と、クズ男の性格形成が開始された。

--- つづく ---